それでは,1つめのやり方で改造に取り掛かるとしよう.後ろにもう一つの改造が控えているので,gitで適当にブランチを切ってから作業することを勧める.コマンドラインでは下のコマンドを実行すれば,「speed_threshold
」という名前のブランチを作成し,同時にそのブランチに切り替えることができる.
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git checkout -b speed_threshold
今から行う改造は,「一定制限速度以上の道路であれば市道化しない」というものである.速度の閾値はユーザーが自由に決められるようにすべきである.しかし,いきなり一般論から入ると難しいので,まずは60km/h以上の道路は市道化しないことにしたい.どうすればいいのだろうか?考えて手を動かして実験してみよう.
一例として,update_city_street
を以下のように編集してみる.
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bool update_city_street(koord pos)
{
const way_desc_t* cr = world()->get_city_road();
for( int i=0; i<8; i++ ) {
if( grund_t *gr = world()->lookup_kartenboden(pos+neighbors[i]) ) {
if( weg_t* const weg = gr->get_weg(road_wt) ) {
// Check if any changes are needed.
if( (!weg->hat_gehweg() || weg->get_desc() != cr) && weg->get_max_speed()<60 ) {
// 市道化する
player_t *sp = weg->get_owner();
if( sp ){
player_t::add_maintenance(sp, -weg->get_desc()->get_maintenance(), road_wt);
weg->set_owner(NULL); // make public
}
weg->set_gehweg(true);
weg->set_desc(cr);
(以下省略)
8行目に注目すると,if文の条件に「weg->get_max_speed()<60
」が追加された.これで,道路の制限速度が60km/hより小さいときのみ市道化が実行される.
それでは,この「60km/h」を一般化しよう.simutransではゲームのパラメータはセーブデータ内に保存することになっている.パラメータ設定のためにsimuconf.tabを参照するのは初回起動時だけというのが原則である.これは,ネットワークゲームにおいてsimuconf.tabの違いが挙動に影響を及ぼすことを防ぐためである.
simutransではこの「setting」を扱うクラスが用意されている.それはdataobj/settings.hに書かれているsettings_t
である.お手元の環境でdataobj/settings.hを開いてほしい.
settings.hには「高度な設定」で見覚えのあるパラメータたちがたくさん並んでいることがわかる.settings_t
はパラメータを専門に扱うクラスである.ヘッダファイルは各パラメータに対して下のコードのような構成で書かれている.
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private:
sint32 traffic_level;
public:
sint32 get_traffic_level() const { return traffic_level; }
void set_traffic_level(sint32 l) { traffic_level=l; }
パラメータがprivate属性で用意され,public属性でそのgetter・setter関数が用意されている.変数自体をprivateにして外部から変数にアクセスする時はgetter・setterを使うという仕組みは,オブジェクト指向プログラミングの定石である.
それでは,ここにパラメータを追記しよう.「制限XXキロ以上なら市道化しない」という値なので,max_cityroad_speed
という名前にしてみる.すると,settings_t
のヘッダファイルに,次のように書き足せばいいことになる.
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private:
uint16 max_cityroad_speed;
public:
void set_max_cityroad_speed(uint16 l) {max_cityroad_speed=l;}
uint16 get_max_cityroad_speed() const {return max_cityroad_speed;}
weg_t
においてmax_speed
がuint16で定義されているのでここでも変数サイズをuint16とした.そして,simcity.ccのupdate_city_street()
において,下のコードのように「60km/h」をmax_cityroad_speed
に置き換えてあげればよい.
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bool update_city_street(koord pos)
{
const way_desc_t* cr = world()->get_city_road();
for( int i=0; i<8; i++ ) {
if( grund_t *gr = world()->lookup_kartenboden(pos+neighbors[i]) ) {
if( weg_t* const weg = gr->get_weg(road_wt) ) {
// Check if any changes are needed.
uint16 threshold = world()->get_settings().get_max_cityroad_speed();
if( (!weg->hat_gehweg() || weg->get_desc() != cr) && weg->get_max_speed()<threshold ) {
// 市道化する
player_t *sp = weg->get_owner();
(以下省略)
8行目で閾値速度をローカル変数threshold
として用意し,9行目でそれを使っている.world()->get_settings()
でsettings_t
オブジェクトを取得できる.ここで取得されるのは参照型なので,メンバ関数にはアロー演算子ではなくドットでアクセスする.
さて,未だ2つの問題が残っている.
max_cityroad_speed
をユーザーが設定する手段がない.max_cityroad_speed
がセーブデータに保存されていない.1つめの問題は次節で対処するとして,2つめの問題を片付けてしまおう.
先ほど編集したのはsettings.hであった.ディレクトリをよく見るとsettings.ccなるファイルも存在する.今からsettings.ccで行う作業は「初期化」「simuconfのパース」「データのセーブ」である.お手元のdataobj/settings.ccを開いて一緒に作業を進めていこう.
まずsettings_t
のコンストラクタであるsettings_t::settings_t()
で初期化を行う.下のコードの7行目がそれである.適当にコンストラクタの末尾にでも書き足しておけばよかろう.(r8549現在ではdataobj/settings.ccの300行目前後)
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random_counter = 0; // will be set when actually saving
frames_per_second = 20;
frames_per_step = 4;
server_frames_ahead = 4;
// テキトーに60km/hで初期化すればいいかな
max_cityroad_speed = 60;
}
次に,simuconf.tabを読み込む.これはsettings_t::parse_simuconf()
が行うので,その中に追記してあげる.これも関数末尾に近い位置に追記すればよい.(下のコードの5行目)ちなみに,contents.get_int()
の第二引数はsimuconf.tabから該当パラメータが見つからなかったときの初期値である.max_cityroad_speed
はコンストラクタで既に初期化してあるので第二引数には設定するパラメータ自身を使う.
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max_ship_convoi_length = contents.get_int("max_ship_convoi_length",max_ship_convoi_length);
max_air_convoi_length = contents.get_int("max_air_convoi_length",max_air_convoi_length);
// simuconf.tab内の"max_cityroad_speed"という項目を読む
max_cityroad_speed = contents.get_int("max_cityroad_speed", max_cityroad_speed);
// Default pak file path
objfilename = ltrim(contents.get_string("pak_file_path", "" ) );
printf("Reading simuconf.tab successful!\n" );
}
これで,simuconf.tabからパラメータをセットできるようになった.simuconf.tabに「max_cityroad_speed=80
」と追記して,起動してみよう.制限速度80km/h以上の道路が市道化しなくなっていることを確認してほしい.
以上で「一定制限速度以上の道路は市道化しない」改造は達成されたように見える.実際,私的な範囲で使う分にはあまり問題はない.しかし,本家統合などが目的の場合は,本節の冒頭で述べた理由によりパラメータmax_cityroad_speed
をセーブデータ内に保存する必要がある.そこで,次節ではセーブデータの読み書きを行う.
Simutransでは,機能追加に伴いセーブデータの構造が変化していく.古い形式のデータも正しく読めるようにするために,セーブデータにはバージョンが定義されている.
セーブデータのバージョンはsimversion.hで定義されている.下のコードはsimversion.h 13行目からのの抜粋である.
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#define SIM_VERSION_MAJOR 121
#define SIM_VERSION_MINOR 0
#define SIM_VERSION_PATCH 1
#define SIM_VERSION_BUILD SIM_BUILD_NIGHTLY
// Beware: SAVEGAME minor is often ahead of version minor when there were patches.
// ==> These have no direct connection at all!
#define SIM_SAVE_MINOR 0
#define SIM_SERVER_MINOR 0
// NOTE: increment before next release to enable save/load of new features
#define MAKEOBJ_VERSION "60.1"
セーブデータのバージョン管理で重要なのはSIM_VERION_MAJOR
とSIM_SAVE_MINOR
の2つの値である.先ほどのコードの場合,SIM_VERION_MAJOR
は121,SIM_SAVE_MINOR
は0である.ちなみに,リリース時にユーザーに案内される「120.4.1」といったリリース番号は,SIM_VERION_MAJOR
,SIM_VERION_MINOR
,およびSIM_VERION_PATCH
が使われている.SIM_SAVE_MINOR
はユーザーに案内される番号には使われていない.
SIM_VERION_MAJOR
は大きなバージョンアップの際に本家開発チームによって引き上げられる番号である.それに対し,SIM_SAVE_MINOR
はセーブデータの構造に何かしらの変化が加えられたときに引き上げられる番号である.読み書きするパラメータを新しく増やすときはSIM_SAVE_MINOR
の値を増やした上で,読み書きするときにバージョンによる場合分けをしなければならない.
セーブデータの読み書きはsettings_t::rdwr()
で行う.なお,grund_t
やweg_t
やvehicle_t
などといったあらゆるクラスにrdwr()
関数は用意されており,そこでデータの読み出し・保存を行うことになっている.ロード・セーブで別々の関数が用意されているのではなく,ロード時・セーブ時ともにrdwr()
関数が呼ばれることに注意されたい.ここで,settings_t
のrdwr()
の一部を覗いてみよう.
下のコードはdataobj/settings.ccのsettings_t::rdwr()
の一部であり,settings_t
のbonus_basefactor
という変数の値を読み書きしている.
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if( file->is_version_atleast(111, 2) ) {
file->rdwr_long( bonus_basefactor );
}
else if( file->is_loading() ) {
// 古いバージョンなので読み出しせず125という値を代入する.
bonus_basefactor = 125;
}
1行目でバージョンチェックをしている.is_version_atleast()
に渡されている引数のうち,「111」はSIM_VERION_MAJOR
,「2」はSIM_SAVE_MINOR
である.
すなはち,セーブデータのバージョンがこれより新しければデータの読み書きを行い,それ以前のデータであれば読み書きをせず,125という値を代入している.2行目にあるrdwr_long()
は32bitのパラメータを読み書きする場合に使い,64bitの場合はrdwr_longlong()
,16bitの場合はrdwr_short()
,8bitの場合はrdwr_byte()
を使う.bool値の場合はrdwr_bool()
を使う.ここで引数に渡しているのは参照であって(loadsave_t
のヘッダファイルを読むとわかる.),読み出しの際は引数として渡した変数に値が格納され,書き出しの際は引数として渡した値がデータに書き込まれる.simutransではセーブデータ内に変数がindexナシに順番に格納されるので,ここで 読み書きする順番に誤りがあると処理に支障をきたす ことに注意されたい.例えば,古いデータを読むときに誤って新しいバージョンでしか定義されていないパラメータを読み出そうとしたとする.このとき,「パラメータが見つからないからエラー」ではなく「読み出す順番がズレて処理続行不能」となるのである.
それでは,max_cityroad_speed
のデータを読み書きしよう.まずは,simversion.hのSIM_SAVE_MINOR
の値を増やす.お手元のコードのSIM_SAVE_MINOR
が0ではなかった場合はお手元のSIM_SAVE_MINOR
の値を1増やせばよい.
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// もともとの値が0だったので1増やして1にする
// SIM_SERVER_MINORも増やす
#define SIM_SAVE_MINOR 1
#define SIM_SERVER_MINOR 1
つづいて,dataobj/settings.ccのsettings_t::rdwr()
にmax_cityroad_speed
の読み書き処理を追記する.settings_t
オブジェクトの初期化時点でmax_cityroad_speed
は初期化されているので,バージョン番号が十分新しい場合にのみ読み書き処理をすれば十分である.適当にsettings_t::rdwr()
の末尾にでも追記しておけばよい.
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// SIM_VERSION_MAJORは121
// SIM_SAVE_MINORは先ほど1に増やした
if( file->is_version_atleast(121, 1) ) {
file->rdwr_short(max_cityroad_speed);
}
max_cityroad_speed
の初期化はした.simuconfのパースもした.パラメータのファイル保存もした.市道化アルゴリズムはmax_cityroad_speed
を参照するようになった.やり残したことは,ユーザーが「高度な設定」ウィンドウからmax_cityroad_speed
を編集できるようにすることである.これをやらないと,ユーザーは一度ゲームを開始したら二度とそのパラメータを変更できないことになってしまう.
高度な設定ウィンドウは上図のように,大きな外枠ウィンドウがあってその中に6つのタブが並んでいる.max_cityroad_speed
は「経済」タブの中に配置するのが妥当であろう.というわけで,経済タブの一番下に配置することにしよう.
次に,ソースコードフォルダのguiディレクトリを眺めてみると,settings_frame.h・.ccとsettings_stats.h・.ccを見つけることができる.settings_frame.hおよびsettings_frame.ccは高度な設定ウィンドウの外枠を定義しているファイルである.settings_stats.hおよびsettings_stats.ccは各パラメータの設定部品を定義しており,我々が変更を加えるのはこちらである.このファイルはマクロを使って書かれており,コードを文法的にまじめに解読する意味はない.gui/settings_stats.ccにある,settings_economy_stats_t::init
とsettings_economy_stats_t::read
の末尾にそれぞれ次のように追記しよう.
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void settings_economy_stats_t::read(settings_t* const sets)
{
// (この間たくさんの初期化コード)
READ_NUM_VALUE( sets->max_cityroad_speed );
}
void settings_economy_stats_t::init(settings_t const* const sets) {
// (この間たくさんの初期化コード)
// 引数は 表示名, 変数, min, max, 補完, wrap (通常false)
INIT_NUM("max_cityroad_speed", sets->get_max_cityroad_speed(), 0, 65535, gui_numberinput_t::AUTOLINEAR, false );
INIT_END
}
settings_t
においてmax_cityroad_speed
はprivate宣言したにもかかわらず,コードの10行目ではmax_cityroad_speed
が直接アクセスされている.これは,このクラスがfriendクラス扱いになっているからである.friendクラスについては『ロベールのC++教室』第2部第43章を読むとよい.
これで市道化境界速度のパラメータが正しく設定できるようになり,ファイルに保存され,市道化処理に反映されるようになった.所望の結果が得られているか,各自でテストしてみよう.